佐々井秀嶺 年譜
History

8月30日、岡山県新見市菅生村別所に生まれる。本名佐々井実。*1

〈インド〉B. R. アンベードカル博士がナーシクでの会議において「私はヒンドゥー教徒としては死なない」と述べ、ヒンドゥー教からの改宗を宣言。

終戦。戦争への嫌悪感から「戦争に負けていい気味だ」と村の土塀に落書きし大人たちから吊し上げを食う(佐々井9歳のとき)。*2

原因不明の高熱、二年間病に伏す(14-15歳)。修験者の勧めにより赤目蛇の心臓を飲んで快方に向かう。*3

上京し東京正生院に入門。精神修養に励んだのち台東区の綿屋に住み込みで働く(16-18歳)。帰郷し薬草販売を手掛けるも挫折。女性関係に悩み何度も家出し放浪、自殺未遂を繰り返す(18-22歳)。この頃より宗教書に目を通すように。向学心芽生え米子東高校夜間普通科に入学(23歳)。*4

〈インド〉10月14日、インドのナーグプルでB. R. アンベードカル博士が数十万人の元不可触民とともに仏教へ集団改宗。12月6日、アンベードカル博士が逝去。

1959年

出家を志す。各宗本山で門前払い、山梨大菩薩峠で自殺未遂の末、勝沼大善寺門前に行き倒れる(24歳)。*5

大善寺井上秀祐師の紹介で、高尾山薬王院山本秀順貫主の手により得度。法名「秀嶺」を授かる(24歳)。*6

1961年

各地を行脚し禅宗や日蓮宗の寺でも修行(25-26歳)。帰京しアルバイトしながら大正大学聴講生として各宗派の教義を学ぶ(26-28歳)。この頃浪曲や易学にも傾倒。*7

1965-67年

山本秀順師の勧めによりタイに留学(29歳)。ワット・パクナーム寺でパクナーム禅を修得。*8

1967年

人間関係に悩みタイ出国、インドへ(31歳)。ラージギル日本山妙法寺八木天摂上人のもと多宝山の仏塔建設を手伝う。*9

1968年

龍樹の霊告を受けナーグプルへ。開教に踏み出す(32歳)。*10

1969年

ナーグプルに最初の寺バーラティ・サッダルマ・ヴィハールを建立(33歳)。*11

1970年

ムンバイーのシッダールタ・カレッジでB. R. アンベードカル博士の事績を研究。アンベードカル博士の遺骨をナーグプルに分祀する。このころ洞窟で15日間の断食断水を決行、以後2年間声を失う(33-35歳)。*12

1975年

インド非常事態宣言(75年6月-77年2月)により布教活動に制限。インド古典等の渉猟を通じ思索を深める(40歳)。*13

1976年

龍樹菩薩の遺跡を求めてインド各地を旅する。各地の仏教徒大会に出席し導師を勤める(41歳)。*14

1979年

ブッダガヤー大菩提寺の金剛宝座横にて8日間の断食を完遂(44歳)。*15

1982年

師の山本秀順貫主はじめてナーグプルを訪問。アンベードカル入滅式典の大導師を勤める(47歳)。*16

1984年

ビザ期限切れによる強制退去命令(49歳)。*17

1987年

不法滞在で一時逮捕。ナーグプルで「全市民佐々井秀嶺擁護委員会」が結成され、1か月で約60万人の署名集まる。国籍取得認可(52歳)。*18

1988年

ラジヴ・ガンディー首相より国籍証明書授与(53歳)。インド名「アーリア・ナーガールジュナ」。*19

アンベードカル生誕100年周年記念キャンペーン(55歳)

1992年

ブッダガヤー大菩提寺管理権奪還闘争を開始(57歳)。以後十数次に及ぶ運動を展開し、現在管理法改定を目指す裁判を係争中。このころマンセル遺跡、シルプール遺跡を踏査、土地を取得し発掘調査を実施。*20

10月14日ナグプール改宗記念式典大行進(58歳)

4月30日マンセルにて集団得度式

1994年

アンベードカル国際平和賞受賞(59歳)。*21

ブッダガヤーにてアンベードカル像建立(60歳)

11月1日デリー第9次ブッダガヤー奪還運動(61歳)

ダンマセナ集会に向けナグプールからブッダガヤへ(63歳)

5月6日ブッダガヤー大菩提寺奪還運動(66歳)

2002年

ブッダガヤー大菩提寺がユネスコ世界遺産に登録される。

2003年

インド政府少数者委員会(マイノリティ・コミッション)の仏教徒代表就任(68歳-71歳)。

我は龍樹なり フジテレビ「NONFIX」インタビュー

2004年放送 NONFIX「男一代菩薩道」素材より
2006年

アンベードカル博士改宗50周年記念式典(黄金祭)の大導師を務める(71歳)。

2009年

44年ぶりに日本に一時帰国(74歳)。

ナーグプル郊外に龍樹菩薩大寺を建立。落慶大法要(75歳)。

東日本大震災・福島原発事故を受け、日本に再び帰国。東北被災地各地を読経巡礼(76歳)。

2016年

アンベードカル国際協会会長就任、ディクシャ・ブーミ(改宗広場)プレジデントとなる(81歳)。

「佐々井秀嶺年譜」(南天会ホームページ)および「佐々井秀嶺師略年譜」(佐々井秀嶺著、『必生―闘う仏教』、集英社新書、2010年、176-177頁)を元に作成。
2000年以前の事項については、『破天―インド仏教徒の頂点に立つ日本人』(山際素男著、光文社新書、2008年)の関連ページを参照した。その他参照資料は、『男一代菩薩道―インド仏教の頂点に立つ日本人、佐々井秀嶺』(小林三旅著、アスペクト、2008年)、『佐々井秀嶺師日本行脚―44年ぶりの母国64日間の全記録』(山本宗補取材・撮影、大日如来南天鉄塔記念協会、2010年)。

【脚注】1. 山際素男『破天―インド仏教徒の頂点に立つ日本人』(光文社新書、2008年)、29頁, *2. 同書33頁, *3. 同書40頁, *4. 同書44-76頁, *5. 同書81頁, *6. 同書93-95頁, *7. 同書103-136頁, *8. 同書137-141頁, *9. 同書142, 146-176頁, *10. 同書176-185頁, *11. 同書205頁, *12. 同書213, 234頁, *13. 同書271-277頁, *14. 同書277頁, *15. 同書288-290頁, *16. 同書318, 328-330頁, *17. 同書354頁, *18. 同書378-384頁, *19. 同書384-386頁, *20. 同書395頁, *21. 同書465頁