佐々井秀嶺について

佐々井秀嶺(ささいしゅうれい)師(1935年生まれ)

インドで「父なる指導者(バーバーサーヘブ)」と呼ばれるB.R.アンベードカル博士(1891-1956)は、1956年10月14日にナーグプルで数十万人の元不可触民を導きヒンドゥー教から仏教へ集団改宗した。このアンベードカル博士の遺志を継ぎ、佐々井秀嶺師はナーグプルを拠点として反差別運動に取り組んできた。

佐々井師は1935年に岡山県で生まれ、1960年に高尾山薬王院で出家した。1965年にタイへ渡った後、1966年にインドへ移った。アンベードカル博士の集団改宗式から約10年後の1967年、佐々井師はラージギルにおいて龍樹菩薩から「汝、南天竜宮城へ行け」とのお告げを授かった。このお告げを受け、佐々井師はナーグプルを中心に仏教の布教と不可触民の解放を目指した運動を開始した。

佐々井師は仏教寺院建立や仏教儀礼の普及、インド各地での大規模な改宗式や得度式に取り組んでいる。佐々井師は1988年にはインドの仏教徒による大規模な署名運動の結果、インド国籍を取得した。現地の仏教徒たちからは「高僧(バラーバンテージー)」や「導師(ダンマグル)」と呼ばれている。

佐々井師は1992年からはブッダガヤーで大菩提寺奪還運動を開始した。2002年にはインド仏教徒とジュネーヴの国連人権高等弁務官事務所を訪問し大菩提寺管理権移譲への協力を求めた。またインド政府の少数派委員会仏教徒代表に選出され、2003年から3年にわたり仏教徒代表を務めた。

佐々井師はインドの仏教徒の導師として2009年に44年ぶりに日本を訪れた。それ以降も継続的に日本に戻り各地でインド仏教徒の被差別の現状を訴えている。この佐々井師は1965年にタイに渡る前から現在に至るまで、自らの思想を記した手記や日記、手紙、自らの実践を記録した写真や動画、新聞の切り抜きなどを残してきた。

「佐々井秀嶺上人資料」アーカイブの公開に寄せて

2021年4月時点で、佐々井秀嶺上人は85歳である(1935年8月30日 岡山県新見市に生まれ 、本名は佐々井実である)。佐々井上人は、1960年25歳で高尾山薬王院貫主山本秀順の下で得度出家して以来、仏教僧として1965年にタイ、1966年にインド(日本山妙法寺の藤井日達上人の弟子八木天摂上人の弟子となる)で修業を重ねた。1967年にそのラージギルから日本への帰国を決意したのだが、まさにその直前に、龍樹菩薩の夢告を得て、そのままインド中央部のナーグプルへと赴く運命に身をゆだねた。身寄りもなく単身でその地にたどり着いた。 大義と使命に燃えて1968年からはナーグプルで布教活動を開始し、1969年には拠点となるインドラ寺(インドラ・ブッダ・ヴィハール)を呻吟して生きる被差別民の居住区の只中に建立する。佐々井上人は、インド名としてはアーリヤ・ナーガールジュナ (Bhadant Arya Nagarjuna Shurai Sasai)を名乗り、その熱心な布教によって多くの信徒が生まれ、そうしたマハーラーシュトラ州の仏教徒による佐々井上人の永住を望む熱狂的な支援請願が実を結んで、1988年にはインド国籍を与えられることになった。もともと佐々井上人は、インドの大地に骨をうずめる覚悟をもって、大国インドの複雑な政治的・宗教的の脈絡の中で何度かの死線を乗り越える経験を経ながら、1968年以来半世紀を超えてインドの被差別民民衆と苦楽を共にしつつ仏教改宗による差別解放運動に取り組み続けてきた。ブッダ、龍樹、アンベードカルと引き継がれてきた不滅の法灯を佐々井上人が受け継ぎ高く掲げ不退転の意志でインドの衆生を導いている。佐々井上人は被差別民解放運動と仏教復興という二にして一の活動を自らの求道として貫き、ブッダの説いたダンマの実践を体現し、インド社会の最下層民の苦悩のなかに身を置いて、その他者の苦しみを自己の苦しみする共苦を通じて慈悲の光で人々を照らしている。

ここに公開される「佐々井秀嶺資料」アーカイブの作成は、佐々井秀嶺上人の活動についての長期の人類学的調査研究を行ってきたBRA研(「B.R.アンベードカル及びエンゲイジド・ブッディズム研究会」)の一員である根本達氏からの発案に始まった。高齢になった佐々井上人の高邁な思想的実践の衣鉢を継ぐために、活動拠点ナーグプルとニューデリーの事務所に存在する、上人がタイ留学以前の1960年代前半頃より書きためてきた文書・手紙類、切り抜き新聞記事、写真などの膨大な資料を日本に移送して保存し、アーカイブ化することが提案され実行されることになったのである。そのために、南天会、BRA研が中心になって協力体制を組み、文末に謝意を込めて記すとおりの科研費やトヨタ財団や稲盛財団などの助成を得て、その資料を、佐々井上人の同意の上でインドより日本に移送し、デジタルアーカイブ化をこの5年間あまり慎重に行なってきた。まだ作業は継続中であるが、公開できる部分から順に公開していくこととし、少しでも早く、佐々井秀嶺上人の直筆による肉声を伝える貴重な一次資料として広く活用できるように私たちの研究活動の社会的還元を目指して鋭意活動している。

佐々井上人の人生については、すでに三つの自伝的書物、山際氏が佐々井師に共鳴して描出した山際素男著『破天』(2008年)、佐々井自身が語りだした佐々井秀嶺著(高山龍智編)『必生:闘う仏教』 (2010年)、佐々井秀嶺著(小林三旅編)『求道者:愛と憎しみのインド』 サンガ新書(2014年)があるが、ここに整理公開されるアーカイブ化された、佐々井上人が人生の苦難変転の時々にしたためた文章などの一次資料から、上記の語りだされた三著を比較し位置づけることで、より正確で豊穣な稀代の仏教僧佐々井秀嶺上人の思想と行動が浮かび上がってくることが大いに期待できる。すでに南天会の小林三旅氏とBRA研の志賀浄邦氏、鈴木晋介氏が根本氏に加わって熱心に整理・分析に踏み出しているところである。このアーカイブに収められた一次資料類は、いわば佐々井上人が語りだした『必生』『求道者』の原典に相当するわけであり、佐々井上人の自らの思想と行動を語るその内容により深く広い背景と文脈を与えることを可能にするであろう。すなわち、その思想と運動に見られるいくつかの重要なエポック・メイキングな出来事がより明確に浮き彫りになることを通じて、佐々井上人の活動の深く豊かな意味を発見・再発見させるに相違ない。このアーカイブは、まさに、佐々井上人が、いかにして龍樹菩薩(ナーッガルジュナ)に出会い、いかにしてナーグプルへ赴き、いかにして被差別民衆と出会い、いかにしてアンベードカル思想に学び、・・・そうしながら、佐々井上人自身がブッダのダンマを生きる大悟の人として「無自性=空=縁起」の自己を獲得していく過程のほとばしるような独白の書き物(まさにカルマ即ダンマを生きる真理に到達した者=タターダカとなった佐々井上人のエクリチュールの織りだしたテキスト)として私たちの前に差し出している。このアーカイブの存在とその活用が、インド社会にとどまらず広く世界に認められる被差別状況にいる人々のことを他人ごとであるとする傍観者的態度から、佐々井上人のごとく我がこととして当事者性を獲得し自らの生き方に繰り込んでいく態度変容のきっかけにならんことを祈念している。佐々井上人の血と汗のにじむ多彩な記録は、上人の人生の足跡かつ痕跡として私たちへの稀有な贈り物であり貴重な社会的財産である。そこには、佐々井上人の声が息づき、それはそのままで仏教思想の基本となる八正道を格闘しつつ歩む実践の姿になっており、それを見て触れた者の心に生きる光明をもたらすに違いない。

最後に、JSPS科研費JP16H03533および20H01401、稲盛財団2019年度稲盛研究助成(人文・社会科学系)、トヨタ財団2019年度研究助成プログラムの助成を受けて可能になったことを記して、深甚なる感謝の意を表したい。

関根康正(「B. R. アンベードカル及びエンゲイジド・ブッディズム研究会」を代表して)